2013年4月21日日曜日

一書説教 ルツ記 ―買い戻しの喜びー  ルツ記4章8節~13節

 聖書には様々な特徴があります。最も多く出版されている本。最も多くの言語に訳された本。世界中の文化や人に影響を与えた本。色々な特徴を挙げることが出来ますが、クリスチャンにとって特に重要な特徴は、聖書は「神のことば」であるということです。聖書は「神のことば」である、唯一の本。
私たちは古代の文献を読みたくて聖書を読むのではありません。この世界を造り支配されている方が、私に何を語られるのか知りたく聖書を読むのです。何が善で何が悪なのか。人はどのように生きるべきなのか。本当の幸せとは何か。人は死んだらどうなるのか。多くの人が、答えがなく大変な思いをして生きている中、私たちは聖書に答えがあることを知っているので、聖書を読むのです。自分の聖書を持ち、自分の母国語で好きな時に聖書を読むことが出来るということが、どれ程大きな恵みなのか。改めて考えたいところです。
ところで、聖書は「神のことば」であるということを、皆さまはどのような意味と受け取っているでしょうか。聖書は「神のことば」であると言っても、様々な意味がありますが、その中でも特に重要なのは、神様の御人格に触れることが出来る言葉という意味です。聖書は、私たちが神様の御人格と交わるための書物。このような意識。神様の御人格に触れたいと願い、聖書を読むことが、どれだけあったでしょうか。
 聖書を読み、聖書の知識を得ること。そこに記された出来事や、人物から励まされること。人生の教訓を得ること。どれも大事なことですが、それだけで終わるとしたら勿体ないのです。「神のことば」である聖書を読み、神様ご自身に感動すること。神様の御人格を喜ぶこと。私たち皆で、そのような聖書の読み手になりたいのです。

 断続的に取り組んでいます一書説教。六十六巻からなる聖書、一つの書を丸ごと扱い説教する。毎回お勧めしていることですが、一書説教の時は、説教を聞いた後で、どうぞ扱われた書をお読み下さい。今回は特に、神様の御人格に触れることを意識しながら、読み進めて下さい。一書説教が進むにつれて、教会の皆で聖書を読み進めていくという恵みにあずかりたいと願っています。

今日は旧約聖書第八の巻、ルツ記に取り組みます。全四章の小書。歴史書の中で一番短い書です。日本のクリスチャンネームでも、比較的多い名前。私たちの教会にも「ルツ」姉妹がいますし、年代別会の名前も、このルツ記から「ルツ会」「ナオミ会」となっています。
 ルツ記は一般的には読みやすいと思います。出来事が中心。これまで読み進めてきました、出エジプト記の後半やレビ記のような、規定ばかりの書ではない。士師記のように、人間の悪が色濃く記された書物でもない。短い文章の中に、美しい出来事が記されている書。
 しかし、簡単に全てを理解出来るかというと、そうでもありません。ルツ記を正しく理解するために、予備知識が必要で、それは親類の義務と権利についてです。聖書は、自分が大変な状態に陥った時、親類に助けてもらうように。親類が危機的状態にある場合、その親類を助けるように、様々なところで定めていました。その危機的状況というのは、色々とあるのですが、ルツ記を読む上で、特に覚えておきたいことは二つ。子どもがいないまま、夫にあたる者が死んだ場合と、土地の売買についての二つです。

申命記25章5節~6節
「兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。その夫の兄弟がその女のところに、はいり、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。」

 子どもがないままに、夫が死んだ場合の定め。一般的にレビラート婚と言われるものです。ルツは、子どもがいないまま、夫が死んだ女性。未亡人でした。「死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。」と聖書は定めていますが、果たしてルツはどうするのか。もう一つ、親類の義務と権利のうち、覚えておきたいのは、土地の売買についてです。

 レビ記25章23節~25節
「地は買い戻しの権利を放棄して、売ってはならない。地はわたしのものであるから。あなたがたはわたしのもとに居留している異国人である。あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」

 神様がイスラエルの民に与えた土地売買の定めは、所有地を完全に売り買いすることは出来ないものでした。所有地を売る場合、それは、もとの所有者が買い戻す権利を認めた上でのやりとりでした。この買い戻しの権利は、もとの所有者だけでなく、親類にも認められるものでした。そのため、聖書の定めに基づいて、土地を売りたい場合は、まずは親類に話をすることが必要でした。ルツ記にも、土地を売る場面が出てきます。ルツ記を読む際、親類の義務と権利として、この二つのことを覚えておきたいと思います。

 以上、長い前口上になりましたが、ルツ記を確認していきたいと思います。まずは一章。その冒頭で、この記事がどのような場面なのか、記されます。
 ルツ記1章1節~5節
「さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。」

 さばきつかさが治めていたというのは、士師記の時代のこと。ベツレヘム出身のエリメレク一家が、飢饉のため、モアブの地に行ったといいます。住み慣れた土地を離れ、異教の地に行く。モアブの地に移り住むというのは、大変なことだったと思いますが、悲惨なことに、更なる困難が待っていました。エリメレク一家のうち、男が三人とも死んでしまう。残されたのは、三人の未亡人。ナオミと、モアブの女性ルツとオルパです。ルツ記の冒頭は、悲劇、絶望、暗闇です。現代日本のように社会制度が整っていない。未亡人三人の恐れや不安は、私たちの想像を越えるものだったでしょう。
 この状態になり、更には飢饉が終わったと聞き、ナオミは故郷ベツレヘムに帰ることを決意します。ナオミからすると、故郷に戻ってもどうなるか分からない。明るい未来があるとも思えない。それならば、嫁の二人。モアブの女性二人は、一緒にベツレヘムに行くのではなく、この地で再婚するのが良いと考え、それを勧めます。

 ルツ記1章8節~9節
「そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、『あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。』と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。」

 ナオミはどのような人だったのか。ルツやオルパの姿を見ると、余程の好人物だったと想像します。姑としての魅力。信仰者としての魅力。ルツもオルパも、ナオミとは離れたくない。ともにナオミとイスラエルに行きたいと言います。
ルツもオルパも、モアブの女性ですので、もともとは聖書の神様を知らなかったでしょう。それがナオミとの生活を経て、少なくともルツは(おそらくオルパもですが)、明確に聖書の神様への信仰を持つようになっています。
 ナオミにしても、二人の嫁に、モアブに残るよう勧めるのは苦渋の決断でしょう。しかし、これからどうなるのか分らない。自分の力で、二人を養うことも出来ない。モアブの地に留まるよう、なんとか説得する。このナオミと、二人の嫁とのやりとりは、聖書の中でも特に人情味溢れる箇所として挙げることが出来ます。
 結果、二人の嫁のうち、オルパは泣きながらモアブの地に残ることを選びますが、ルツはナオミと行動をともにすることを堅く決心します。ルツの言葉は、ナオミに対する思いだけでなく、神様への信仰告白として響くもの。実に印象的な信仰告白です。

 ルツ記1章16節
「ルツは言った。『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないで下さい。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まわれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」
 こうして、ナオミとルツがベツレヘムに帰ったところで一章が閉じられます。

二章は、ベツレヘムに戻ったナオミとルツの生活が記されます。未亡人が食を得るために出来ることは限られていましたが、そのうちの一つが落ち穂拾い。丁度、刈り入れの時期のため、畑に行き、落ち穂拾いをします。

 この時、ルツが行った先はボアズの畑。そこで、ルツは想像以上の親切を経験します。
 ルツ記2章10節~12節
「彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。『私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。』ボアズは答えて言った。『あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。』」

 ルツはボアズのことを知らなかったようです。しかし、ボアズはルツのことを聞いて知っていた。それも、ルツのこれまでの行動、信仰に対して非常に好意的です。後に、この二人が結婚するのですが、ルツやボアズが、お互いにどのように好意を持ったのか。想像しながらルツ記を読みたいところです。
ボアズの好意の結果、ルツは落ち穂拾いにしては、あまりに多い量を持ち帰ることが出来ました。そのためナオミは驚き、一体どこで落ち穂拾いをしたのかと確認すると、それはボアズのところ。ナオミはボアズの名前を聞き、重要なことを言います。

 ルツ記2章20節
「ナオミは嫁に言った。『生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。』それから、ナオミは彼女に言った。『その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。』」

 ボアズは買い戻しの権利のある親類。ボアズは、エリメレク家に対して、例の親類としての義務と権利を有する人物であるというのです。つまり、ルツとボアズにその思いがあれば、二人が結婚し、ナオミもルツも、ボアズに守ってもらうことが出来る。その相手として、ボアズは相応しいと言っているのです。この結果、三章はナオミの勧めによって、ルツがボアズに結婚を求める場面となります。
 ところで、ここで一つの疑問が出てきます。ボアズが買い戻しの権利のある親類であることは、ナオミは以前から知っていたはずです。そうであれば、ベツレヘムに帰ってきてすぐに、ルツとの結婚含め、自分たちを助けてもらえないかとボアズに相談することが出来たはず。何故、この段階まで、黙っていたのでしょうか。何故、この時に、ボアズは買い戻しの権利のある親戚だと言ったのでしょうか。この時のナオミの思いは、ルツ記を最後まで読むと想像することが出来ます。詳しくは後で確認するとして、まずは三章から。

 ルツ記3章1節~5節
「しゅうとめナオミは彼女に言った。『娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてからはいって行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。』ルツはしゅうとめに言った。『私におっしゃることはみないたします。』」

 ナオミがルツに勧めたことは、ボアズに結婚を願い出ること。ルツが結婚したいことをボアズに願い出るために、どのようにしなければならないか、説明がされます。ボアズが寝ているところで、その足のところをまくり、そこで寝るように。当時の習慣だったのでしょう。これでボアズにはルツの意図が伝わりました。結婚を願い出されたボアズは、どのように答えたでしょうか。

 ルツ記3章9節~11節
「彼は言った。『あなたはだれか。』彼女は答えた。『私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。』すると、ボアズは言った。『娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。』」

 ボアズの言葉は印象的です。「あとからの真実は、先の真実にまさっている」と。先の真実とは、ルツが聖書の神様を信じ、ナオミとともに帰ってきたことでしょう。これ程の真実よりも、今、自分に結婚を願い出たこと。あとからの真実の方が、まさっていると。これは一体、どういう意味でしょうか。
 ボアズは、ルツが望めば、若い男と結婚することが出来たと考えています。恐らくは、ルツは若く、美しい女性。ボアズはある程度の年齢を重ねていたのでしょう。そのルツが、自分に結婚を願い出ている。それは、ルツが個人の思いを優先させるよりも、第一に聖書に従う思いの現われ。親類の義務と権利という聖書の定めを最優先にした結果と見たのです。
 私たちは、一時的な熱心で、神様に対する信仰を表明することがあります。このように神様を信じる。神様に従う。神様に奉げ、神様に献身すると。しかし、毎日に生活の中で、その信仰の表明は徐々に薄れ、自分の願い、自分の好みが優先されていくことがあります。ルツはそうではなかった。「聖書の神様こそ私の神様です」と告白したとおりに、聖書の定めを最優先して生きた。ボアズは、そのようなルツの信仰を指して、「あとからの真実は、先の真実にまさっている」と言ったのです。

 こうして二人は結婚へと進むのですが、ここで一つの課題が明らかになります。買い戻しの権利。親類としての義務と権利を果たすには優先順位があり、ボアズより先に、その義務と責任を果たすべき人がいるということ。果たして、その者が親類の義務と権利を果たすのか。それが四章に記されます。

 ルツ記4章3節~4節
「そこで、ボアズは、その買い戻しの権利のある親類の人に言った。『モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。私はそれをあなたの耳に入れ、ここにすわっている人々と私の民の長老たちとの前で、それを買いなさいと、言おうと思ったのです。もし、あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。しかし、もしそれを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。あなたをさしおいて、それを買い戻す人はいないのです。私はあなたの次なのですから。』すると彼は言った。『私が買い戻しましょう。』」

 ボアズは最優先に買い戻しの権利がある者に対して、ルツの話は出さずに、まず土地の話をします。ナオミが亡き夫、エリメレクの土地を売りたいと考えている、とです。このエリメレクの土地は、相続する者がいない状態。ここでナオミから土地を買えば、自分の財産として所有する土地が増えることになると考えられる。最優先に買い戻しの権利のある者は、すぐさま「私が買い戻しましょう。」と言います。
 すると、すかさずボアズは言うのです。その場合は、ルツと結婚し、その子どもに、その土地を継がせないといけないと。

 ルツ記4章5節
「そこで、ボアズは言った。『あなたがナオミの手からその畑を買うときには、死んだ者の名をその相続地に起こすために、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買わなければなりません。』」

 相続人がいない土地を買えると思っていたら、土地を買うだけが親類の義務や権利ではない。ボアズは言います。ルツと結婚し、ナオミやルツを養いつつ、更にはルツとの子どもに、土地を相続させるようにと。これでは、親類の義務や権利を行使すると言っても、購入する土地の代金を払い、養う人が増え、その土地もやがて自分のものではなくなる。何も良いことが無いと判断したのか。最優先に買い戻しの権利のある者は、それならば自分は親類としての義務を果たすことは出来ないと引きさがります。
 ここに来て、ボアズとルツが結婚することは、双方に重大な決断があったことが分かります。ルツは、人間的な思いを優先させて、若い男と結婚することを選ぶことも出来ました。ボアズがルツと結婚することは、人間的な視点、経済的な視点で言えば、何の利点もない。他の親類は、それは自分には出来ないと言うような選択でした。
 ナオミとルツがベツレヘムに帰ってきて、すぐにボアズに相談に行けなかったのは、このようなことが背景にあったのでしょう。つまり、親類の義務や権利と言っても、それを果たすかどうか。ボアズがどのように考えているのか。ルツがどう思うのか。それが分かるまで、ナオミは言いだせなかった。それが、二章の出来事。ボアズがルツに対して好意的に接したこと。ルツがボアズのことを話す様を見て、ナオミも決心がついたのだと思います。

 こうして、ボアズはルツと結婚し、更にルツは男の子を産んだと記録され、ルツ記は閉じられていきます。
 ルツ記4章10節、13節
 「さらに、死んだ者の名をその相続地に起こすために、私はマフロンの妻であったモアブの女ルツを買って、私の妻としました。死んだ者の名を、その身内の者たちの間から、また、その町の門から絶えさせないためです。きょう、あなたがたはその証人です。・・・こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところにはいったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。」

 飢饉、流浪、三人の死と、暗闇で始まったルツ記が、喜ばしい結婚で幕を閉じます。しかも、このボアズとルツの間に生まれた子が、ダビデ王の祖先であり、それはつまり、キリストの祖先となります。一人一人の人生の積み重ねに、歴史を支配する神様の御手を見ることが出来ます。結果がどうなるのか分からなくとも、私たちがそれぞれの人生の中で、聖書を第一として生きることの重要性を再確認出来ます。

 以上、全四章のルツ記でした。触れておきたいこと、お伝えしたいことは山ほどあるのですが、この説教では僅かしか扱えませんでした。是非、じっくりとルツ記を読んで頂きたいと思います。
 最後に一つ、ルツ記の中で最も重要と思うテーマを確認して終わりにしたいと思います。ルツ記の重要なテーマの一つは、親類の義務と責任。買い戻しの権利という思想です。自分が大変な状況にある時、助け出してくれる者がいる。買い戻しという考え方が、具体例をもって教えられているのがルツ記です。ボアズにとって、ルツと結婚することで、人間的には不利益を被る。その不利益は、ある者にとっては、ルツとは結婚出来ないと思わせる程のものでした。しかし、ボアズはルツとの結婚を選びます。ボアズは、不利益よりも、愛を優先させるのです。
 この親類の義務と責任。買い戻しの権利を指す言葉は、神様にも用いられる言葉です。いくつも箇所を挙げることが出来ますが、そのうちの一つを今日の聖句に選びました。
 イザヤ書47章4節
「私たちを贖う方、その名は万軍の主、イスラエルの聖なる方。」

 ここにある「贖う方」という言葉が、買い戻しの権利と同じ言葉です。それはつまり、神様が私たちに対して、最も近い親類として、その責任を果たして下さる。神様が買い戻しの責任を果たすために、どれ程大きな不利益を被るとしても、愛を優先して下さることを意味します。ボアズは、買い戻しの権利を用いて、不利益があろうともルツと結婚しました。私たちの神様は、買い戻しの権利を用いて、イエスキリストの十字架という方法を用いて、私たちを贖って下さいました。

 ルツ記に記された出来事の先に、神様と私たちの関係を思い、神様によって罪の奴隷から買い戻された喜びを味わいたいと思います。